「地頭」って何だ?(後編)

前回に続き「幅広い教養の力」の欠如がもたらす問題から始めたい。

言うまでなく、社会は文系と理系が分離していない。また、仕事を巡る環境は激しく変革していく。

このため、多角的な分析能力が必要になり、結果的に職業学習による成長力が必要となる。つまり、問われるのは、知識の量ではなく、幅広い関心、分析、思考である。知識はクラウドデータやAIで間に合う時代に入った。


でも時間に余裕のない社会人が教養を補うことは容易ではないという現実もある。さらに厳しく言えば、教養学習は入社前に各人が行うべき作業であり、それを前提にOJT(職業学習)が行われると企業は認識していた。だから地頭が重要なのだ。


一方で、筆者は、メンターは仕事上の直接的情報をもたらさないが、こうした幅広い教養への希求心を刺激することができると考えている。


他者と仕事上の情報を定型的にやりとりすることは重要であるが、その限りにおいて相手の位置づけは、これまでのチャネル上にあるただの“情報取引先”に留まる。同じチャネル上だけの情報のやりとりを行う関係を密接にするためには、情報の量、すなわち知識の量を互いに増やすことしかなく、既存のチャネル以上のイノベーションはない。

しかし、情報の幅を広げこれまで想定していなかった伝達チャネルを用いた場合、相手はこれまでに想定していなかった刺激を受ける可能性がある。その結果打ち返された情報は、もともと発信した自らにとっても大きな刺激を与える可能性がある。

そのやりとりは当人同士の情報チャネルを増やし、情報は多角化し、イノベーションを誘発する相乗効果が期待される。

これこそが、コミュニケーションではないだろうか。だからこそ現代社会では情報発信力やコミュニケーション能力が問われる。


発信チャネルを多角化する源泉は幅広い教養にある。そのための教養学習を促す刺激を与えてくれるならばメンターの役割は極めて大きいはずだ。ただし、あくまでも刺激してくれるだけで、学習そのものは自身で行うしかないこともお忘れなく。

筆者が20代の頃は?もちろん、上司、同僚、取引先、仕事と無関係の友人、皆から刺激を受けました。



<文・金融、経営管理アドバイザー 博雅>